2013年7月29日月曜日

7.25 Zepp Nagoya

Text by Nanako Yamamoto
剛!剛!剛!…
開演前のZepp Nagoyaは、長渕剛の登場を前に、割れんばかりのコールとウェーブ。
初めて長渕剛のライブに参戦したわたしは、そのあまりの熱気に圧倒されていた。
初めてと言えば、クラシックのコンサートには毎週足を運ぶけれど、歌手の方のコンサートを聴く事自体、実はほとんど初めてのわたし。
正直に言うと、少し怯えてもいた。

この会場中から立ちのぼる熱気は、なに?
この観客の皆さんの瞳の輝きは、なに?

開演時間が近づくにつれて、息をするのも苦しいくらいの期待感ではちきれんばかりになっていく会場。
2階席のフェンスから乗り出して、もはや瞳を潤ませてステージを見つめている隣の席の方。

どうしよう…わたし、ここにいていいのかな?

東京から名古屋までの道々、ずっとわたしの胸を弾ませていた期待に、
不安が勝ってしまいそうになった頃…

やっと、長渕剛が登場した。
そして割れんばかりの歓声の中、一曲目がはじまる。

―泣かないで 僕がいるから
 泣かないで 君の側にいるから…―

しっとりと、しかし情熱的に。
たった一人の人間とたった一本のギターが生み出す音が、
会場を、一瞬にして覆っていく。
空気を染めていく。

まるで、魔法みたいだと思った。
だって、一曲目が終わる頃には、ちょっと前まで怯えて不安でいっぱいだったわたしが、周りの皆さんとおなじように、瞳を輝かせていたから。
そして、会場の熱気を心地よいと思い始めていたから。

そしてはじまった二曲目。

―ねえ ずっと いようよ
 僕が 悪かったんだ
 ねえ ずっと いっしょさ
 君を 離さない…―

―俺の気持ちだよ!
お前らとずっと一緒にいたいと思ってるんだよ!―

曲が終わったあと力強くそう言った彼に答えるように、会場が大きく揺れる。
その様子を見て、思った。

ああ、ここにいる人たちは、みんな、長渕剛に恋をしているんだ…

冷静に周りを見ていられたのはここまで。
このあとはわたしも、時を忘れて会場の熱にとけ込んでいった。

ライブから数日たった今日、この原稿を書きながら、
二曲目以降ほとんど何も書かれていない、あの日のメモをペラペラとめくってみる。
その中に、ぐりぐりと丸で囲まれた一つの言葉を見つけた。

―みんな、心にぽっかり空いた小さな穴を埋めようと思って、レコード屋で長渕剛のレコードを手に取ってくれたんだろ?
ありがとな―

ああ、これか…。と、得心がいった。
あの、会場の熱気や、
観客の瞳の輝きや、
隅々まで染み入った空気の正体。

人には、この人でなければという事がある。
心に、その人の形の穴をぽっかりと空けて
傷でも、愛でも、何でも構わないから、
そこを埋めてもらうのを待っているのだ。
そして、彼のファンは、みんな心に長渕剛の形の穴を空けているのだ。

恋というのとも、少しだけ違う。
もう少し切実で、もう少しパーソナルな、「何か」。
その「何か」が、あの日会場の皆が瞳を輝かせ、足を踏み鳴らし、拳を突き上げて求めていた「長渕剛」という存在が与えてくれるものなのだ。

それにしても、衝撃的な夏の日だった。

2013年7月24日水曜日

7.17 ZEPP TOKYO LIVE REPORT


Text by MIKI WAKABAYASHI Fuji Television Network, Inc.

 

右手にサンバーストのギター、笑顔で登場した剛。
その瞬間、会場全体に幸せの空気が流れた。みんなの顔が一瞬にして笑顔になった。
それと同時に、私は自分の胸のあたりから、熱く、そして、とてつもなく心地の良い何かが、ゆっくりと末梢まで広がっていくのを感じた。

 「近いだろ?これくらいの距離でやるのって、最高だな。みんな、いい顔してるよ!」

 決して小さな会場ではないが、剛を間近に感じることができるライブハウス。
剛の歌声、ギターやハーモニカの音色と響き。さらに、立ち振る舞いや表情や言葉も、あたかも自分だけのもののように受け止められる、とびきり贅沢な空間だ。
そんな夢のようなステージで“LOVE SONG”を歌う剛は、その歌声だけでなく、肉体までもがとても美しく、そして優しさに満ちあふれている。

 LICENSE 
ギターを奏でるその指先から手の甲にかけてのライン。
しなやかで柔らかく上下にゆれる動きは、ずっとこのまま見続けていたいと思う安らぎのある美しさだった。

 ♪君のそばに…
「この歌は本当だよ。みんなに対して本当の気持ちだよ。ずっとそばにいたい」

 愛しい人への思いを切々と、包み隠さず歌う至極の愛の歌。
この時の剛は、実に芸術的な美しさを放っていて、心も身体も震えた。
力強い大腿部から引き締まった下腿部への脚線美。ブラックデニムがとても綺麗なラインを描き出している。
ハーモニカを吹きながら、右足を一歩前に置く。次に左足をしなやかに横に出す。
優しく、美しく、柔らかなステップ。
脚のラインだけでなく、その動きの美しさに釘付けになり、耳から伝わる音の波動と共鳴し合って、
ステージから伝わってくる心地良い感覚が私の身体を支配する。

 そして肉体の美しさと言えば、勿論上半身も。上着を脱ぎ、黒のタンクトップ姿で露出された肩から背部、上腕にかけての筋肉。‘細マッチョ’路線に変更したという肉体は、研ぎすまされた日本刀のようなシャープさを持ち、綺麗なラインを作っている。それは、以前に比べて、無理のない、親しみやすさを感じる筋肉となっていた。

 さらに別の衣装では、また違う一面を見せてくれた。ピンクのシャツ。こんなにピンクが似合う男性はいないのではという位、本当に可愛らしかった。しかも、丁寧に袖をまくりあげ、ゆっくりボタンをしめるその仕草は、母性本能をくすぐるものだ。強い男が、ふとしたときに一瞬見せる茶目っ気さは、たまらない魅力の一つだ。

 今夜は、サプライズゲストが3人登場した。サックスの昼田洋二。ラッパーの般若。ゆずの岩沢厚治。
この素敵な仲間と、とびきりの笑顔で二曲。
♪君は雨の日に
♪裸足のまんまで
何が出てくるかわからない玉手箱のような演出に、新たな幸福感がみなぎったひとときだった。

 今回のステージは、自分自身の人間形成の中で、「原点」とも言える曲ばかりだった。
最近良く思うのだが、年を取るにつれて、感性というものだろうか、“感じる心”が失われてきているように感じていた。しかしきょう、そのどこかに忘れてきてしまった、大切で純粋で、とっても尊いものに触れることができたような気がする。

 20時57分。
最後の曲 ♪プロポーズを歌い終わった剛は、「また、会おうね」の言葉を残し、ステージを去った。

 私の身体には、ライブが始まったと同時に感じた不思議な感覚がずっと残ったままだ。 
剛から受けとったエネルギーが、私の視床下部から下垂体へと信号を送り、女性ホルモンを分泌させたのか。
それと同時に、脳が快感を示す程、幸福感いっぱいになる脳内ホルモンも涌き出てきたのか。
ずっと包まれていたい。感じて触れていたい。
こんなにも穏やかで、幸せな感覚。長渕剛のステージでしか、私は体感できない。

2013年7月11日木曜日

7.10 Zepp Namba LIVE REPORT

「1曲目、変えてみるか」
 長渕がつぶやいたのは、開演5分前のことだった。もうフロアには入り切らないくらいのオーディエンスが詰めかけ、さすがは大阪、と思わず感嘆してしまうほどの熱い剛コールを送り続けている最中だ。
 このファンクラブ・ツアーも残り3本。1曲目は『Rainy Drive』で初日の鹿児島宝山ホールからずっと通してきたのであり、この日のリハーサルでも、1曲目を変更するというようなことは、そのそぶりすらなかった。長渕剛のツアーに初めて同行した僕は、驚きを通り越して、その場で固まってしまった。そんな僕に、さらに長渕が尋ねる。それも、あっけらかんとした調子で。
「ずっと盛り上がってんなぁ、あいつら(笑)。谷岡!お前、1曲目、何がいい?」
 この瞬間、この場所で、もっとも幸せな人間かもしれないと思った。だって、あの長渕剛が大事なライブの1曲目を何にするか、僕に訊いているのだ。そして同時に、この瞬間、この場所で、世界一の難問を突きつけられた人間だと思った。しかし、結局僕は答えられないまま、長渕が口にしたのは『カラス』だった。驚いたのは、その後のスタッフの反応の速さとスムーズな対応力だ。
「『カラス』だとギターはカポなしのCですね」
 舞台監督が言えば、ギターテクニシャンがすぐさまチューニングしたギターを持って楽屋に現れた。それを受け取って、しばらくギターをかき鳴らし、「よし、行こう!」長渕は楽屋の通路からステージ袖へ消えて行った。ナレーションが入り、BGMのボリュームが上がり、暗転、そして静寂。大きな歓声が上がった。
「ヘイ!」
 マイクロフォンを通した長渕の声が響く。
〝執念深い 貧乏性が 情けねえほど しみついてる〟
『カラス』だ。
 
 一気に会場のボルテージが上がる。そして、怒号のようにみんなが歌っている。ああ、ライブというのはこんなふうに出来上がっていくのか!現実にそれを体感すると、言葉では言い表せない感動が身体を突き抜けて行った。そうだ。僕たちは、CDを聴きにわざわざ会場まで足を運んでいるわけではない。今日のこの瞬間、この場所にしかない〝ライブ〟を体感しに来ているのだ。そしてそれを創り上げるのは、アーティストだけではなく、スタッフやオーディエンス、いくつもの要素なのだ。そうして、それらがひとつになった時にはじめて〝マジック〟は起こるのだ。
 
 2回目のアンコールの最後の曲は『夏祭り』だった。
 『カラス』同様このツアーで初めて披露された曲だ。僕たちはこの日、たしかにマジックにかかっていた。そして、声が枯れるまで、涙を流しながら大声で歌った。

2013年7月5日金曜日

7.4 Zepp Sapporo LIVE REPORT

Text by SHINZAN INAMURA(UNIVERSAL MUSIC)

今日の札幌も、例に漏れず開演前からの“ツヨシ・コール”が楽屋まで響いてくる。昨年の”Stay Alive”TOURではこのあと、ロングコートをまとったヒーローがセンター・ステージ中央に忽然と現れた。そうして行われたライブは、圧倒的な熱量を放ち、とてつもない連帯感を生み出した。
そして今回。ステージには明らかに異質なものがあった。胸を高鳴らせるBGMのあと、僕たちは文字どおり、暗闇へと叩き落されるのだ。それは、見たことのない真っ暗闇だ。そして、わずかながらの簡素な照明に浮かび上がったステージに、長渕はギターを持ってフラッと歩いてきた。その瞬間に僕は思った。「ギターと長渕さえあればいいんだ。それだけでいいんだ」と。そして聴こえてくるのは、スリーフィンガーの響きと、長渕の声、ただそれだけだ。よどみのない空間を伝わって僕の耳に届くそれらの音は、いや、耳からではなく、全身の皮膚からまるで浸透してくるかのように、体内に染み入ってきた。弦をはじく一音一音、そして長渕の息づかいまでもが、確かな輪郭で刺さってくる。なんて心地良いんだろう。それはきっと、全てがむき出しだからこその美しさに違いない。派手な照明機材はないが、最小限のライトでも、実に細やかな表情が描かれていく。そうして僕は、歌とギターに対して感覚が研ぎ澄まされ、どっぷりと没入することができた。身をゆだねるとはまさにこのこと。
衣裳も、派手なものはなにひとつない。しかし、丁寧なダメージ加工が施された一点もののブラックデニムは、膝のあたりが絶妙に絞られ、長渕のカモシカのような脚線美を見せてくれる。足元のブーツも、客席からは見えにくいかもしれないが、かなり繊細なデコレーションが施されている。そう、むき出しで、シンプルに見せているが、実に細やかなディテールがそこには存在するのだ。
むき出しのギターと歌は、僕たちを無防備にさせて、そのからだと心にす~っと入ってくる。その感覚がとにかく心地よい。“パークハウス701 in 1985”の「一緒にいることが 結構つまらない」という歌い出しは、個人的に大好きなフレーズだ。一聴すると、ラブ・ソングとは思えない言葉づかい。しかしそこには、愛情と友情、同情などの狭間にある、得も言われぬ感情が絶妙に描かれている。そして、不思議な涙がこみ上げてきた。その時僕の脳裏には、自分を通り過ぎていった女性との出会いと別れの場面が、走馬灯のように巡っている。今日だって、妻や彼女と来ながら、過去の別の女性を思い浮かべていた人が絶対に居るに違いない(笑)そう、この空間は、そういったことが許されるのだ。長渕の数々の歌は、みんなのからだと心に、さまざまなかたちで染みついているだろう。そのことを噛みしめて、再確認して、一曲一曲に向かい合える、そういう楽しみ方がある。つまり、長渕と自分=一対一の関係性が、このツアーの本質なのである。昨年のツアーで、僕たちは揺るぎない連帯を確認し合えた。だからこそ、“個と個”に返ることができるんじゃないだろうか。“交差点”も、“二人歩記”も、“PLEASE AGAIN”も、皆それぞれの人生や思いに投影されて鳴るに違いない。それを今回は思う存分に、むしろ自分勝手に堪能して欲しい。むき出しの歌とギターに、とっぷりと身をゆだねて。

2013年7月3日水曜日

6.29 鹿児島・宝山ホール LIVE REPORT


Text by DJ JIN SHIMAMURA

毎回想像を絶するのが長渕のLIVEですが、今回はいつものそれとは違う「サイズ」というスケール感ではなく、「質感」という意味で私の想像をはるかに上回っていました。
いつもなら先ず拳をあげ、エネルギーの解放からキックオフする長渕のステージが、今回は鹿児島に雨が続いていたからか、それとも何かのメッセージなのか?
アルバムやライヴの一曲目というのは、その一枚やその日のステージを象徴しているものと勝手に解釈している私ですが、この日は出来たばかりのラヴソングをアルペジオでしっとりと幕を開けました。
もしあの宝山ホールの夜の出来事を友人や恋人に話すとしたら、どんな風に話すのだろうか、、、
「俺、先週の土曜日ね、長渕のLIVEにいったんだ。
今回はファンクラブのツアーでね。剛がギター一本で聞かせてくれたんだよ。
会場は剛のリビングルームに居るようなそんな雰囲気。行ったことないけどね(笑)。
剛が部屋に入ってきて『おーよくきてくれたな。いつもわざわざありがとな。今日はお前らのためにラブソングを一生懸命歌うよ。あと、せっかく今日は鹿児島の部屋だからな。一番大切な家族、父ちゃん、かぁちゃんの話、ガキの頃の想い出話なんかもするから。。
サングラスもかけなくていいや。何せ部屋だからさ、、あと、拳もガンガン挙げなくても大丈夫。気に入ってくれたら拍手、、、くれるかい?』
そんな風に言われている気分だったよ。
また剛が歌う前や後にその歌がどうやって生まれたのか、その時の気持ちや情景を語ってくれるんだ。ライナーノーツにコメントしているみたいにね。。
『俺にはただいまと言える場所がある。そして待っていてくれる人もいる。感謝。幸せ』そんな事も言っていた。でもそれって人間の根本の部分だよね。その根本を作ってくれたこの土地、そしてかぁちゃん、父ちゃんが亡くなった時に書いた歌も歌ってくれた。本人は、『俺にこんな歌を書かせたんだからきっと優しいオヤジだったんだろうな』
『今日の雨はおふくろの涙だと思うよ、、、うれし涙。やっぱり親、兄弟を大切に。今日はオヤジ、おふくろの歌を歌わせてくれてありがとう』って。」
故郷というものは幾つもあるものではなく、皆それぞれたったひとつだけ。それは、親子の関係にも似ている気がする。そういう意味では、鹿児島だからこそ出てくる感情やセットリスト。またmcでの鹿児島弁がさらにアットホームならぬアットルームな時間に感じた。
また、こんな話をするかもしれない。
「剛のギターはね、唄うんだよ。泣くんだよ。今回怒りは少なかったけど時に怒る事もある。包みこむような愛もある。喜怒哀楽や郷愁もある。そしてあのテクニックを感じるのは、やっぱりギター一本がベストかもね。
また改めてラヴソングの原点は「一対一」だということ。誰かひとりの為に作ったものだからね。聴いてたらいつの間にか主人公が自分になったりしていたよ」
人は心の琴線に自分にとってのキーワードが触れると自然と涙が止めどなくでることがある。なんだか今回はど頭から泣けてきて、中盤では目の前や斜め前にいた女性の涙にもらい泣きをし、(男子には悪いが女性が涙する姿には目がとまってしまう。笑) そして終盤では「未来」に向かっていく力が涙に変わり湧き出てきた。
「song is power」と長渕剛は言い続けていたが、パワーというのはパワフルという「力」の意味でもあり、同時にエネルギーに裏打ちされた静寂や優しさでもある。
つまりパワーには静と動の両面があり表裏だと思う。
今回のライヴで私が感じたのは主に「静」の部分。
音楽を愛し音楽に愛され、同時に苦しみ、だからこそ一曲一曲に愛や情や魂が凝縮されている剛の曲達。
そこにもしA面B面があるならば、良い意味でB面の名曲の数々で「柔よく剛を制す」ステージだったのではないかと感じた。
「あ、そういえば札幌か名古屋にいくんだっけ?ファンクラブでしか見せない剛の顔、楽しんできてよ。あとそうだ。車の中で「LICENSE」聴きながらいきなよ。じゃあまた」

2013年6月29日土曜日

6.24 SENDAI LIVE REPORT


たとえば、ラスべガスでショーを見てくつろいでいるような。あるいは、ニューヨークの老舗クラブでじっくりトランペットの音楽に耳を澄ましているような、そんな感じ、といったら大げさだろうか。

 長渕剛のファンクラブツアー〝Thank You!〟も折り返しを過ぎて、いよいよ後半に差し掛かろうとしている。このレポートでも再三触れてきたように、今回のライブは、いつものエネルギッシュな展開ではなく、剛の音楽の本質を味わい尽くすことができる貴重な機会となっている。そしてその本質が、ラブソングであり、2030代の頃に書き上げた名曲たちが、命を吹き込まれていく様を僕たちは全身で体感している。

 だから何て言ったらいいのだろう。

 何十年分の想いをつむぎながら、みんなで新しい曲を作っているような、そんな幸せな気分になってくるのだ。だって、『二人歩記』を剛と一緒に歌いながら、こんな歌詞があったんだって改めて気づかされるのだ。


  僕は君なんだし 君は僕なんだよ


 新曲『未来』のメッセージと何十年の時間を超えてつながっているということに驚く。そうすると、歌の世界を飛び越えて、剛とファンとの絆を確かに手でつかむように感じることができるのだ。

 だからそれはまるで、ライブハウスやアリーナにはない、独特の距離感と雰囲気なのだ。そう、まるで欧米の一流ミュージシャンが、今日はちょっとだけやったらすぐ帰るよ、というようなカジュアルさで演奏を始めるショーに近いかもしれない。圧倒的なスキルとキャリアに裏打ちされてこそのリラックスしたステージは、うるさ型の音楽ファンも年若いファンも隔たりなく虜にしていく。そして総じてそのようなステージがファッショナブルであるように、今回の長渕剛はカッコいい。べつに着飾っているわけではない。白地に黒いドットのシャツやヒョウ柄のジャケットをTシャツみたいにさりげなく着こなしている。何十年と使いこなして来たヴィンテージのアコースティックギターがグッと映える。

 何も特別なことはない。けれど、本物にしか出せないカッコよさってこういうことなんだな、というのがよくわかる。

 う〜ん、いや・・・やめよう。一瞬僕もヒョウ柄のジャケットを、なんて思ったけど、あんなふうにはなれっこないから。

6.20-21 Zepp Tokyo LIVE REPORT


「未来」と言われて、うまく想像できる人がいるだろうか?

「夢」や「将来」なら、ああしたい、こうしたいという希望を語ることはできる。しかし「未来」という響きには、途方もない大きなものが含まれているような気がして、少し腰が引けてしまう。きっと、「夢」や「将来」はその人個人に集約される言葉で、「未来」の指し示す範囲はそれよりも広いためだろう。そう。我々は、自分の中から一歩でも外に出ると、とたんに迷子になってしまう。

 今回のファンクラブツアーでは新旧の名曲が、ギター1本の妙技で披露される。考えてみたいのは、どうしてギター1本のステージだったのか、ということだ。そこにはもちろんファンクラブ・イベントならではの親密さが大きな理由としてある。そしてもう少し突っ込んで考えてみると、長渕の深い意図が見えて来る。

 最上の音楽を最高の空間で共有すること。これこそがライブの本質であり醍醐味だ。バンドサウンドや演出を取り払って、むき出しになった長渕のギターテクニックのすごさには感嘆させられる。リズム感、表現力、アイデア……人間の感情のひだにピタッと寄り添うことの出来るギターだ。楽器と身体がもともと一体となった、〝そういう人〟に見えてくるほど、彼のギターサウンドは生理的に心地よい。そして、ボーカルの迫力は、弾き語りでこそ際立つ部分だ。言葉一つ一つに対する微妙なアプローチの違いがわかって、たとえ三十年前の曲であっても、今という地点にしっかり立脚しているところがすごい。

 青春時代に心を振るわせたあの曲を、何十年たって、ライブ空間で聞く。その瞬間、個人的な様々な思い出がよぎっていく。長渕の曲への想い、個人個人の曲との思い出、それらがひとつになって向かうのは「未来」だ。

『未来』の中にこんな一節がある。

  

  君の瞳の中に 僕がいるかい

  僕の瞳の中には いつも君が生きている


 それこそが「未来」なのだと唄はつづく。

 考えたり想像したりすることは難しくても、自分と誰かが何かを共有している、その状態が「未来」なのだ。

 長渕が今回、ギター1本で、かつ、極力演出を排除したシンプルなステージにこだわった理由がおわかりいただけただろうか?

 ファンクラブのみんなと未来へ向かいたい。そこには長渕の強い意志が込められている。